お久しぶりです、難波です。
今日は想像力についての話をしようと思います。
「魔女と暮らせば」
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作 田中薫子訳/佐竹美保 絵
(画像はウィキべディアより拝借 https://ja.wikipedia.org)
ダイアナ・ウィン・ジョーンズはイギリスの作家で、ファンタジーの女王とも言われている人です。日本で有名なジブリ映画「ハウルの動く城」「アーヤと魔女」の原作者でもあります。そんな彼女のシリーズ物、「大魔法使いクレストマンシー」シリーズの1つがこの本。
内容については読んでいただけばいいので触れませんが、この本を読んで私は改めて「文章から想像すること」の楽しさを感じたので、夏休みといえばの読書感想文宜しく書いてみようと思います。
昨今、我々はダイレクトな表現を享受する環境に慣れています。映画がカラーなのは当たり前なうえ、音響を工夫したり五感を利用した様々な演出で創作物を楽しめることに、新鮮な驚きはありません。最新の創作物には臨場感が欠かせなくなっているといっても過言では無いと思います。
そこで、改めてファンタジーというジャンルの創作物を文章だけで受け取ることにはどのような意味があるでしょうか。
そこには、自分の想像力で楽しむという体験があります。
文章で表されているものを、どこまで鮮やかに「視る」ことができるかは読者の想像力によってきます。
もちろん、土台は作家、訳者の文章力です。単語や音選びから始まる巧みな文章と構成によって、私たちは物語の世界を走ったり飛び回ったりすることができます。
しかし、どのように走るか、どれだけ高く、あるいは速く飛べるかは、私たちの想像力が描くのです。
夏の暑さを、書き手は様々な言葉を操って表現し、その言葉たちはそこにあるだけで私たちに同じ蜃気楼を見せるようなものもあります。
しかし、蜃気楼の揺らぎの中に見るもの、その時間を縫う呼吸のリズムは、私たち個々にしかわからない。私たち個々にだけ、生まれる体験があるのです。自分の想像力次第で、いくらでも深い海溝を覗くことができるということです。
創作物である物語を受け取る行動は、一見消費のようですが、このように受け取ることと生み出すことが同時に行われる時、やはりそれは単なる消費活動ではないのだと思います。
もともと、児童書が好きな成人女性ですが、この夏は改めてファンタジーにはまっています。私の実体は今、潮風を浴びに沿岸を歩くことを許されていませんが、せいぜい図書館で好きなだけ体験の扉を選ぼうと思います。
みなさんも、できるだけ良い夏をお過ごし下さい。
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