短編映画『ラレル・ノ・ボレロ』で監督を務めました、立田優詞です。
本作はインザピンクの映画史上最長の42分でして、「短編映画とは」という話になってきますが、「前半後半で分けて投稿する派」と、「42分まるまる投稿する派」の、血で血を洗う抗争は勃発しました。
結果、インザピンクの理念的に、再生数やクリック数よりも、しっかり見てくれる人を優先しよう、見てくれる人の感情が途切れないように前後半で区切るのはやめよう、ということで、関ヶ原の合戦よりも速いスピードでこの抗争は終結しました。ちなみに私は、石田三成側でした。
本作の話ですが、ここからネタバレ要素も含みますので、作品を見終わった後に読むことをお勧めします。
1作目の『Veil』と同じ、差別がテーマとなっております。『Veil』はコロナ差別、『ラレル・ノ・ボレロ』は部落差別です。私の近しい方を登場人物のモデルにしています。僕がこの根深い問題に首を突っ込んで書くこと自体、非常におこがましく、書くにはどこまで行っても勉強不足であり、非常にデリケートなものだと自覚しながら、だけどもかすり傷ほどの関係者でもあるため、いつかは部落差別をテーマに作品を書きたいと思っていました。
あまり長々と書いてもあれなのであまり書かないですが、この主題をわずかながら知っているからこそ、ハッピーエンドっぽく終わるラストに今でもむず痒さのようなものを感じます。「差別は無くなっても、差別意識は無くならない。」ですが、私は第2.8者側ぐらいであり、そんな私の望みでしかないですが、「全部ひっくるめて」受け止められるような、そんな世界になればと思い、幸一郎が城にビールを注ぐラストシーンを作りました。
原田麗奈役の小路に、「まさしさんは、部落差別に対してどう思ってるんですか」と聞かれ、少しハッとしました。僕はこうしなきゃいけないなんてご立派な意見はありません。作家の主張が強い(作家が伝えたいことが強い)作品はあまり面白いと思わないし、それをどう描くかに独自性が出るから、このテーマを選んだのもあります。
でもやはり、言語も含めて、上下関係であったり、立場であったり、昔から目に見えない格差を無意識に誰かに強いてきた(言い換えればそれを重んじる)日本人の独自性のようなものはやはり感じざるを得ないように思います。だからこそ、前半は上下関係の描き方をコミカルに、その延長線上に主題へ、という構成は悪くないのではと思ったりしています。
長くなったので終わります。
関ヶ原に敗れた私は、もうじき三条河原に行くと思います。京都に行かれる方は、私の晒し首に合掌してから観光をしてください。私は首のない胴体に鞭を打って、これからインザピンクで役者をやらず、作・演出を担当します。
今後ともよろしくお願いします!
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